2014/08/25

勇気とは、嫌われる勇気のことだったんだ

最近評判になっている「嫌われる勇気」という本を読んだのでその感想を書こうと思い、ふと、結構前にこのブログに、「自分に必要なのは勇気なんじゃないかなと思った」と書いたことを思い出しました。
今検索してみたら、2013年1月2日に2013年の抱負を書いたときだったので、もう1年半以上前のことだったんだなぁ。

ということで、今回は「嫌われる勇気」を読んだ感想を。
アルフレッド・アドラーという心理学者の教えを、「哲人」と「青年」の対話の中で伝えようとしていて、とても読みやすい本でした。

人生の悩みを抱えた青年が哲人の元を訪ね、哲人との対話の中で変わらなければならないのは自分であり、そして今ここから変えられるということを学んでいくというストーリー。
対話の中でたくさんの人生の教えが出てきます。
その中でも僕にとって特に印象的だったことは、

①感情は目的を達成するための道具である
②課題の分離をし、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
③自由とは他者から嫌われることである
④人生とは連続する刹那である

でした。

①の例として、親子喧嘩をしていたお母さんが電話がかかってきて普通の声になり、電話を切った途端娘に怒り始めたりする、と。
これは冷静に娘を諭すという手間を避けるために怒りという感情を道具として使っているのだ、と説きます。
また、怒ること自体が目的になっているケースもあるそうです。
なんらかの原因で怒りたいと思っている場合、無意識に怒りポイントを探してしまうよ、と。
確かに、「なんでそんな些細な点で揚げ足取ってんだ?」という場合があるよなぁ。

僕はあまり怒りっぽくないほうだと思うのですが、それでも疲れている時やストレスがたまっているときは、怒りやイライラを出してしまうのでそこは気をつけないとなぁ、と。

②の課題の分離ってのがまた秀逸でした。
例えば勉強しない子どもがいた場合、子どもに「勉強しろ」と言ってはいけないと。
勉強するかしないかは子どもの課題であって、親が踏み込んではいけない領域ですよと説きます。
何か課題があったときに、「その課題は本当は誰の課題なのか?」をまず考え、それが自分以外の課題であれば、自分は踏み込まない。相手に「あなたの課題だよ」と分からせるところまでにしておく、と。
確かに勉強も仕事も「やらされてる感」があるうちは大してできるようにならないと思います。
僕は親に感謝していることがあって、小学校高学年以降、一度も「勉強しろ」と言われませんでした。
実際勉強得意でしたけど、これはありがたかった。
多分僕だけじゃないと最近思い始めたんですけど、人から「やれ」と言われると途端にやる気がなくなるんですよねぇ。
「言われたからやった」っていう風になるのがいやなので。あまのじゃくなのかなぁ。

で、③の自由とは他者から嫌われることであるってのもまた秀逸というか腑に落ちたというか。
確かに他者から嫌われないように心がけているということは、全然自由じゃないんですよね。他者の期待の中で生きなきゃいけないわけですから。
自由を選択すると他者から嫌われることも受け入れなければならない、つまり、他者から嫌われる勇気がなければ自由を手にすることはできない、というわけです。
うーむ。。。深いな。。

④の人生とは連続する刹那である、というのは今までも思っていたことでしたが、言葉にされるとさらに飲み込めました。
僕は最近、「もし明日死んでも後悔しないように今日を過ごす」と心がけています。
もちろん今年中にやりたいこともありますし、来年の目標もあるのですが、それらに向かって今日を精一杯生きようと。
大学受験の時とか、毎日15時間くらい勉強していましたけど、まぁその時死んでも「受かったかどうか知りたかったなぁ」とは思えども、「こんなことなら勉強なんてしなかったのに」とは思わないというか。
この辺り、人生の捉え方として重要な話が出てくるのですが、人生を目標を達成するための登山のように考えてしまうと、山頂に行けなければその人生は失敗したことになってしまいます。でも、人生を旅だと考えると、家を出た瞬間から旅が始まるわけですね。例えばその旅の行き先がエジプトのピラミッドを見に行くことだったとして、天候不順などでピラミッドに行けなかったとしても、旅をしなかったことにはならないよね、と。
僕はこの考えはとても好きで、目標に向かって努力しているその瞬間も人生の大事な一部だと思っています。


最近関心を持った人たちの考えがアドラー的だったからなのか、もともと自分がそういう価値観を持っていたのか分からないのですが、僕にとってアドラーの教えはそれほど受け入れがたいものではありませんでした。

ただ、承認欲求を否定するというのはちょっと受け入れがたかった。
アドラーの教えでは、「他者から認めてもらいたいと思うこと」を否定します。
なぜなら、他者から認めてもらいたいと思った時点で、他者の期待の中の人生を生きることになってしまうからです。
他者からの承認ではなく、ありのままの自分を受け入れる、「自己受容」の大切さを解くのですが、僕はこれは自信とかかわる問題だと思う。
自分を信じる、自信を構築していくには一歩一歩努力して他者から認められる経験が必要になってくるんじゃないかな、と。
少なくとも僕は社会人になりたてのころは、ずっと尊敬する先輩たちに認めてもらいたいという思いで努力していました。
今はその当時よりも自信を持てるようになったので、そこまで他者からの承認は求めないですが、そうなるまで時間かかったよなぁ、と。

学生の頃から根拠の無い自信というか、自己肯定感を持ててる人もいると思うのですが、僕は自分がやってきた努力の積み重ねを自信に変えてきたタイプなので、なかなかすぐに承認欲求を手放せそうにないですねぇ。。
ただ、90%以上共感できるアドラーの考え方なので、いずれ他者からの承認を必要としなくなれるように自分を改造していきたいなぁと思う。

実は2度読み終わって、もう一回読もうかなぁと思っているくらい良書です。
超おすすめ。








ーーー以下、「嫌われる勇気」で赤線を引いたところ。めっちゃ多い。ーーー
・「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです。
・自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである
・怒りとは出し入れ可能な「道具」
・ライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはず
・アドラー心理学は、勇気の心理学です
・人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
・健全な劣等感とは、他社との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの
・怒りとはコミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能なのだ、という事実です
・そもそも主張の正しさとは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。
・行動面の目標
  ①自立すること
  ②社会と調和して暮らせること
 心理面の目標
  ①わたしには能力がある、という意識
  ②人々はわたしの仲間である、という意識
・アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です
・アドラーは、相手を束縛することを認めません
・アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します
・われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです
・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある
・他者の課題には踏み込まない
・あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
・他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
・「自由とは、他者から嫌われることである」
・他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない
・幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます
・わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。
「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。
・もしも学校に居場所がないのなら、学校の「外部」に別の居場所を見つければいい。転校するのもいいし、退学したってかまわない。退学届一枚で縁が切れる共同体など、しょせんその程度のつながりでしかありません。
・ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれます。
・一番大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。
・「人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる」
・われわれは他者を見るとき、ともすれば「自分にとっての理想像」を勝手にこしらえ、そこから引き算するように評価してしまうものです。
・たとえば、引きこもっている子どもが、食後の後に洗いものを手伝っていたとします。このとき「そんなことはいいから、学校に行きなさい」といってしまうのは、理想の子ども像から引き算している親の言葉です。
・共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。
・「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める
・他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと
・「普通であることの勇気」
・人生とは、連続する刹那なのです。
・過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
・決めるのは、昨日でも明日でもありません。「いま、ここ」です。
・われわれは困難に見舞われたときにこそ前を見て、「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。
・「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」



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